ウガンダ国の人権記録

 

 

 

 

 

 難民不認定処分等取消請求控訴事件、名古屋高等裁判所判決/平成28年(行コ)第19号、判決 平成28年7月28日、LLI/DB 判例秘書について検討します。

 

 

 

 

 

【判示事項】

 

 

 ウガンダ共和国の国籍を有する外国人に対して法務大臣がした難民の認定をしない処分の取消請求等につき,当該外国人が反政府活動を行っている野党において指導的立場にないとしても,ウガンダ政府が当該野党党員一般に対して迫害行為を行っていることからすれば,当該野党党員として積極的な活動をしている当該外国人がウガンダ政府から迫害を受けるおそれはあるとして,前記請求等を認容した事例

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主   文

 

 1 原判決を取り消す。

 2 法務大臣が平成23年1月11日付けで控訴人に対してした難民の認定をしない旨の処分を取り消す。

 3 名古屋入国管理局長が平成23年1月27日付けで控訴人に対してした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない旨の処分を取り消す。

 4 名古屋入国管理局主任審査官が平成23年1月27日付けで控訴人に対してした退去強制令書発付処分を取り消す。

 5 訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。

 

       

 

 

 

事実及び理由

 

 

第1 当事者の求めた裁判

 1 控訴人

   主文同旨

 2 被控訴人

  (1) 本件控訴を棄却する。

  (2) 控訴費用は控訴人の負担とする。

 

 

第2 事案の概要

 1 本件は,ウガンダ共和国の国籍を有する外国人女性である控訴人が,出入国管理及び難民認定法61条の2第1項に基づき難民認定の申請をしたところ,平成23年1月11日付けで法務大臣から難民の認定をしない旨の処分を受けるとともに,同月27日付けで,法務大臣から権限の委任を受けた名古屋入国管理局長から同法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない旨の処分を受け,さらに,同日付で,名古屋入国管理局主任審査官からウガンダ共和国を送還先とする退去強制令書発付処分を受けたことから,上記各処分は控訴人の難民該当性の判断を誤ってされた違法なものであるなどと主張し,その取消しを求めた事案である。

   原判決が,控訴人の請求をいずれも棄却したため,控訴人が控訴した。

   以下,略語は,特に断りのない限り,原判決の例による。

 2 前提事実

   原判決「事実及び理由」の「第2 事案の概要」の2に記載のとおりであるから,これを引用する。

 3 争点及び争点に関する当事者の主張

   次の(1)のとおり原判決を補正し,同(2)のとおり当審における当事者の主張を付加するほかは,原判決「事実及び理由」の「第2 事案の概要」の3及び4に記載のとおりであるから,これを引用する。

  (1) 原判決の補正

    原判決13頁17行目の末尾の次に,次のとおり加える。

   「また,仮に法務大臣が控訴人を難民と認定しなかったとしても,控訴人が既に長期にわたって日本に滞在しており,本邦への定着性が認められることからすれば,控訴人に対しては人道配慮等を理由とした在留特別許可を与えるべきであったことが明らかであり,本件在特不許可処分は違法である。」

  

 

 

 

(2) 当審における当事者の主張

   

 

 

(控訴人の主張)

   ア 原判決は,控訴人が主張した出身国(ウガンダ)の状況について一切検討することなく,控訴人の個別事情のみを検討し,控訴人の難民該当性を否定しており,判決理由に脱漏がある。控訴人が原審において提出した,英国内務省作成の出身国情報主要文書,米国国務省の人権状況国別報告書,ヒューマン・ライツ・ウォッチ作成の資料等によれば,

 

ウガンダでは,個別に注視されている者だけではなく,FDC党員一般に対して迫害が行われており,FDC党員であるというだけで,拘留・拷問・発砲を含む暴行傷害,催涙ガス等による集会の妨害,自警団による襲撃などの迫害を受けていることが明らかである。

 

   イ この点について,原判決は,控訴人が難民として認定される要件として,「迫害の対象として関心を抱かせるような指導的立場にあった」という事実を求め,同事実が認定できないことを理由として,控訴人の難民該当性を否定している。しかしながら,難民の定義は難民条約に基づくことが求められているところ,難民条約にいう難民の定義において,「指導的立場にあった」事実は求められていない。原判決には,難民条約の解釈を誤った違法がある。

 

   ウ そして,難民認定に際しては,困難な状況にある難民申請者の置かれた状況に鑑み,中核的事実の一貫性をもって供述の信用性を判断する必要があり,枝葉の供述の整合性を論難し,難民該当性を否定してはならない。しかるに,原判決は,控訴人の供述の枝葉の整合性を論難するのみで,控訴人が難民に該当する主要な理由の一つである,控訴人がFDCの党員であった事実を認定しておらず,事実認定の誤り及び脱漏がある。控訴人は平成17年(2005年)に正式に入党してから現在に至るまでFDCの党員であり,ウガンダでは,個別に注視されている者だけではなく,FDC党員全体に対して迫害が行われているのであるから,FDC党員であれば,迫害の恐れは十分に存在するというべきである。

 

   エ そのほかにも,原判決は,一般の経験則に反して証拠の評価を行い,控訴人が平成19年(2007年)▲月に襲撃されて暴行を受けた事実(以下「襲撃事件」という。)や,LC1から一通目と三通目の手紙を受け取った事実の存在を否定するなど,経験則違背の違法がある。

   

 

 

(被控訴人の主張)

    控訴人の上記主張はいずれも争う。

 

 

 

 

 

 

第3 当裁判所の判断

 

 

 1 当裁判所は,控訴人の請求はいずれも理由があり,本件難民不認定処分,本件在特不許可処分及び本件退令発付処分はいずれも取り消されるべきであると判断する。

   その理由は,以下のとおりである。

 

 

 

 2 本件難民不認定処分の適法性(争点1)について

  (1) 「難民」の意義及び立証責任について

    原判決「事実及び理由」の「第3 当裁判所の判断」の1(1)に記載のとおりであるから,これを引用する。

 

 

 

  (2) ウガンダの一般情勢等

 

 

 

    後掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

   

 

 

 

 

ア ウガンダの略史

    

 

(ア) ウガンダは,

 

昭和37年(1962年)10月9日,旧宗主国である英国から独立した国家であり,

 

昭和38年(1963年)以降,共和制を採用しており,大統領を国家元首としている。(乙30,31)

    

 

 

(イ) ウガンダにおいては,

 

 

昭和41年(1966年),ミルトン・オボテ(以下「オボテ」という。)がクーデターにより大統領に就任し,

 

 

昭和46年(1971年),イディ・アミン(以下「アミン」という。)のクーデターによりオボテが失脚して,アミンが大統領に就任し,

 

 

昭和54年(1979年),アミンが失脚して,

 

 

昭和55年(1980年),オボテが再び大統領に就任した。

 

 

しかし,

 

 

昭和61年(1986年),ムセベニがNRMを率いて首都カンパラを奪取して,大統領に就任し,

 

 

平成8年(1996年)に実施された大統領選挙において当選を果たした。(甲12,乙30,31,33)

    

 

 

 

(ウ) その後,ウガンダにおいては,

 

 

平成12年(2000年)6月,国民投票により与党NRMによる一党統治体制が支持され,

 

平成13年(2001年)3月に実施された大統領選挙において,ムセベニが再選を果たした。

 

 

そして,ムセベニの主な政敵であったベシグエは,その後,ウガンダを去って,南アフリカ共和国で4年間を過ごした。(甲12,乙31ないし33)

    

 

 

(エ) 

 

 

平成13年(2001年)以降,ウガンダでは複数政党民主主義に対する要求が強くなり,

 

 

平成17年(2005年)7月に,政治制度に関する決定のために国民投票が行われた。

 

 

これにより,複数政党制への回帰が決定され,同年8月には議会で憲法が改正され,大統領三選禁止規定が撤廃された。(甲12,乙31ないし33)

    

 

 

(オ) 

 

平成16年(2004年),野党改革アジェンダ,国会アドボカシーフォーラム及び国民民主フォーラムが合併して,FDCが結成された。

 

 

FDCは,人々が,平和に尊厳を持ち,社会的・経済的正義が保障され,誠実で透明性があり,説明義務を全うする政府のもとで生活できる真の意味で統一されたウガンダを構築することを使命とするとされている。(甲54,75)

    

 

(カ) ベシグエは,

 

 

平成17年(2005年)10月に,亡命先である南アフリカからウガンダに戻り,FDCの大統領候補に指名された。

 

 

平成18年(2006年)2月23日,複数政党制の下で,大統領選挙及び国会議員選挙が実施され,同選挙では,ムセベニが3選を果たすとともに,NRMが勝利したが,ベシグエも大統領選において総投票数の37%を獲得し,FDCは議会の直接選挙議席計284席のうち37議席を獲得し,野党第一党となった。ベシグエは,選挙結果に異議を申し立てたが,最高裁判所は,深刻な不正が発生したことを認めたものの,それが選挙戦の結果に実質的な影響を与えなかったとして,この申立てを棄却した。(甲12,19,75,乙30,32,33)

    

 

 

(キ) 

 

 

平成23年(2011年)2月,大統領選挙及び国会議員選挙が実施され,ムセベニが4選を果たし,NRMが勝利した。

 

 

ベシグエは,平成13年(2001年),平成18年(2006年)に続いて,大統領選に立候補し,26%の得票を得たが,2位にとどまった。(甲54,75,乙31)

   

 

 

 

 

 

イ ウガンダにおける人権状況

    

 

 

(ア) 米国国務省の平成17年(2005年)人権状況国別報告書(甲18)は,ウガンダについて,

 

「政府の人権記録は,いくつかの分野で若干の改善が見られるものの,依然として悪いままであり,深刻な問題が依然として存在した。」とし,

 

 

具体的な人権問題として,

 

 

①治安部隊が非合法の殺害を行い,拷問死を生んだこと,

 

②政府軍の隔離拘禁による失踪が1件報告され,また,その他の失踪の報告が続いたこと,

 

③ウガンダの法律では拷問等は禁止されているが,治安部隊が被疑者を拷問かつ殴打したという信頼できる報告があり,警察及び治安部隊は,反政府活動家を攻撃し,拘禁したこと,

 

④法律で禁止されているにも関わらず,治安部隊の隊員が,一般市民を恣意的に逮捕したり拘禁したりしたこと,

 

⑤法律では,逮捕をするに当たっては,管轄権を有する裁判官又は検事による捜査令状の発行が義務付けられているが,実際には被疑者はしばしば令状なしで身柄を拘束されたこと,

 

⑥法律では言論と報道の自由が規定されているが,政府はときに上記権利を制限し,ときにジャーナリストに対する嫌がらせや脅迫を行い,ジャーナリストは引き続き自己規制を行ったこと,

 

⑦警察は,いくつかの野党に対して集会を開く許可を与えず,野党が組織する集会を阻止し,何回か野党の集会あるいはその他の催しを混乱させたり,強制的に解散させたりしたこと,

 

⑧憲法は結社の自由を定めているが,実際には政府は,同権利を,特に野党及び反政府政治組織に対して制限していることなどを指摘している。

    

 

 

(イ) また,その後の米国国務省の人権状況国別報告書(甲11,19)においても,ウガンダの人権記録は依然として悪いとされ,

 

控訴人が出国した翌年である平成21年(2009年)の人権状況国別報告書(甲4)でも,

 

同国における深刻な人権問題として,不当な政治的動機の殺害,自警団員による殺害,政治的動機の誘拐,容疑者と拘留者への拷問及び虐待,不当かつ政治的動機の逮捕及び拘留,監禁や長期間の審理前拘留,言論・報道・集会・結社の自由に関する制限,野党への制限などが挙げられており,

 

同年9月10日には,ウガンダ放送協議会が,ラジオ局4社を営業停止処分にしたこと,同月12日には,ラジオ番組1件とテレビ番組1件を,暴動を煽り立てる可能性があり,大統領に対して屈辱的であるとして終了させたことなどが報告されている。

 

平成22年(2010年)の人権状況国別報告書(甲23)においても,格段の改善は見られない。

  

 

 

 

 

ウ FDCに関する状況

 

     米国国務省作成の人権状況国別報告書,英国内務省作成の出身国情報主要文書,カナダ移民難民局作成の資料及びアムネスティ・インターナショナル(以下「AI」という。)の報告書等によれば,控訴人が本件難民不認定処分を受けた平成23年までの間におけるFDCに関する状況については,以下の報告がされている。

 

    

 

 

(ア) 平成17年(2005年)

 

 

      

ベシグエは,10月26日に亡命先からウガンダに帰国し,同月29日にFDCの大統領候補として選出されたが,11月14日に逮捕され,翌日,反逆罪と強姦罪で起訴された。

 

また,ベジグエは,テロ行為及び違法な武器の所持でも起訴され,FDC党員22名も起訴された。

 

AIは,ベシグエの逮捕は,カンパラなどの様々な都市での大規模なデモの引き金となり,抗議者らは,機動隊による実弾,催涙ガス及び放水銃を受け,その結果1人が死亡し,多数が逮捕されたと報告した。11月15日に逮捕された44名のFDC支持者は,12月13日に,裁判所により起訴が棄却された。(甲5,18,19)

    

 

(イ) 平成18年(2006年)

      

1月2日,ベシグエは保釈された。AIは,ベシグエに対してなされている嫌疑が,政治的に動機付けられているおそれがあるとの懸念を表明した。最終的に,ベシグエに対する起訴は,取り下げられるか,無罪判決が出された。

      

 

1月のアフリカ・リサーチ・ブリティンの記事は,ベシグエの出獄の後,カンパラで祝っていた一部のFDC支持者が機動隊によって催涙ガスを発射され,殴打された支持者もいたと報じた。同月3日,ルクンギリの警察は,FDCの女性問題担当責任者が,前年11月に地方のラジオで政府にとって不利になる発言を行ったことについて,同人を尋問した。

      

 

2月4日,前年2月から拘留されていた,ベシグエの選挙運動のアルア県における元動員役員が,ようやく釈放された。2月21日,カンパラ警察の犯罪捜査局が,ベシグエの弁護人の1人を,暴力扇動容疑で恣意的に逮捕し,短期間拘留した。

      

 

また,2月に行われた大統領及び国会議員の選挙期間中は,FDC支持者に対する暴力事件がたびたび報道された。具体的には,

 

①同月15日,カンパラ郊外にて,FDC支持者の群衆に向かい一人の兵士が発砲をし,この事件でFDC支持者3名が殺害され,ほか数名が負傷したこと,

 

②同月20日,ムコノにおいて,兵士らが軍用武装トラック7台をFDC支持者の一団の中に乗り入れ,7人が負傷したこと,

 

③同月22日,ジンジャにおいて,FDC支持者の一団を散会させるために警察が催涙ガスを発射したこと,

 

④同月25日,選挙結果に抗議するために党本部に集まったFDC支持者を散会させるために催涙ガスが再び使われたこと,

 

⑤同月26日,Kitugumにおいて,ウガンダ国軍がFDC支持者2名に銃を突きつけて拘束し,この事件に抗議した他数名に暴行を加えた疑いがあることなどが報道された。

      

 

5月22日には,FDC党員が,カンパラ県の自宅から失踪した。警察は捜査を開始したが,同人の行方は依然として年末時点で分からなかった。

      (甲6,11,12,19,23,乙33)

    

 

 

(ウ) 平成19年(2007年)

      

3月5日,カンパラ警察は,集会中にベシグエと200人の支持者に向けて催涙ガスを発射した。マスコミの報道によると,この乱闘で子供1人が死亡した。また,ベシグエは,FDCの3人のメンバーが同年前半に警察の留置場にいる間に死亡したと述べた。さらに,ベシグエは,他の16人のFDC支持者がその時に裁判手続を経ずに拘留されたことに言及した。(甲11,54)

    

 

(エ) 平成21年(2009年)

      

1月17日,ブケデア地区の公安機関は,FDC党員のAが銃を所有していたとして,同人を拷問し死亡させたと報告されている。また,ホイマ市長でFDCの貿易工業セクレタリーを務めていたBは,4月に逮捕されて以降,年間を通してCMIの「安全な家」という施設で不法拘留と拷問を受けていた。

      

 

そのほか,ウガンダのメディアは,6月に,デモとラジオトークショーでFDCの推進運動をしていたFDCの活動家が殺害されたと報告した。また,カンパラ警察は,同月3日,マータイヤーズ・デーの祝典中に中傷的な宣伝活動を行った疑いでFDCの副スポークス・パーソンを罪状なしに逮捕した。

      

 

8月17日,FDC青年同盟メンバーは,警察に対し,FDCメンバー1名が,カンパラのFDC本部で開催されたプレス会議に向かうところで拉致された,と話した。また,カンパラ警察は,同月18日,FDC青年部門のメンバー11人を不法集会に参加したとして逮捕した(なお,逮捕された人数については10人とするメディアもある。)。さらに,警察は,同月31日,不法集会を開催して参加した疑いで,FDC青年指導者を取り調べた。

     

 

12月には,ウガンダのメディアが,ベシグエのパレードのためにFDC支持者が集まった際,警察官がベシグエに催涙ガスを吹きかけて,FDC支持者を追い返したと報告した。

      (甲4,54)

    

 

(オ) 平成22年(2010年)

      

3月19日,警察は,カバレ警察署でFDCの女性指導者を激しく殴打し,その他のFDCメンバーに暴行を加えたとされている。また,4月1日,カセセ県警察は,

 

平成20年(2008年)の元防衛省事務次官の死亡の責任はムセベニ大統領にあると主張したFDC支持者を,尋問し,保釈した。

 

カンパラ警察は,

 

6月9日,政党間協同体(IPC:FDCを含むウガンダの5野党の連合体)が開催した,選挙委員会の編成に反対する三つの集会を妨害した。

 

機動隊と自警団キボコスクアッドの隊員が野党支持者に暴行を加え,警察はそれを見守っていた。ベシグエの側近を含む数人の支持者が負傷した。

     

 

 

10月8日,政府はベシグエの姉妹が執筆した,ムセベニ大統領を批判する書物500部を,治安上の理由により押収した。

 

カンパラ警察は,同月9日,ウガンダ独立記念日の集会中にFDCのシンボルである「V」を見せたとして3人を逮捕した。また,グル警察は,12月16日,4人の人々が履いていた青いガロッシュをFDCの自衛団のシンボルと解釈し,暴力を扇動したとして逮捕した。

      (甲23,54)

    

 

 

(カ) 平成23年(2011年)

      

4月28日,ベシグエは,燃料と食料の価格高騰に対する抗議運動中に,警察に4度目の逮捕をされた。BBCニュースは,支持者らが周りを取り囲む中,警察はベシグエの乗った車の窓をたたき割り,催涙ガスを放って,ベシグエを車から引きずり下ろしたと報じた。

      

また,6月,警察とキボコスクアッドが,ベシグエによってカンパラで開かれていた集会を中断させ,ベシグエや役員,支持者に対して暴力を振るった。政府は事件の調査を約束したが,年末になっても進展は見られない。

      

10月に憲法裁判所は,反逆罪と殺人罪に問われていたベシグエを始めとする人々に対する告訴は違憲であるとの判決を下した。その主な理由としては,国が公正な裁判を受ける権利を守ることができていなかったことが挙げられている。

      (甲10,16)

  

 

 

 

 

 

 

 

(3) 控訴人の個別事情

 

 

    前提事実,後掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。

 

   ア 控訴人の経歴,家族関係等

 

    

(ア) 控訴人は,昭和50年(1975年)▲月▲日,ウガンダのカンパラにおいてウガンダ人の両親の下に,5人きょうだいの第4子として出生した。(乙1,9,23)

    

(イ) 控訴人は,平成11年(1999年)に短期大学を卒業し,銀行で1年間働いた後,平成12年(2000年)からは通信関係の会社で,平成14年(2002年)から平成19年(2007年)頃まではCで勤務した。(甲43,乙21,23)

    

(ウ) 控訴人は,平成12年(2000年)12月に,ウガンダ人男性であるDと婚姻した。その後,平成13年(2001年)▲月▲日に長男を,平成14年(2002年)▲月▲日に長女を,平成16年(2004年)▲月▲日に二男をもうけた。(甲60,61,乙9,23)

   

イ 控訴人のウガンダにおける政治活動

    

(ア) 控訴人は,平成13年(2001年)頃に,公式に結成される前のFDCを知り,その政策や路線を支持するようになった。そして,平成14年(2002年)に,Cの職員となり,女性に対する教養の普及,石けんの製造・販売,養鶏と鶏卵の販売,女性が事業を始める際の相談・資金援助等のCの活動を通じて,相手にFDCの政策や路線を理解してもらう活動を行っていた。Cは,FDCのいわば覆面組織ともいえる団体であり,控訴人が活動していた当時のCの職員は全てFDC党員であった。(甲43,58,59,乙14,21,23,控訴人本人)

    

(イ) 平成16年(2004年)にウガンダで政党が合法化され,FDCも合法政党となったことから,控訴人は,平成17年(2005年)2月頃にFDCに正式に入党した。(乙23)

    

(ウ) Cは,Eという女性が代表を務めていたが,EがCに来なくなったことから,控訴人は平成17年(2005年)▲月頃には,事実上Cの代表代行を務めるようになっていた。そうしたところ,控訴人は,同月頃,LC1から手紙を受け取った。手紙は,Cの活動には政治的なものが含まれている疑いがあるため,出頭してCでの活動について説明することを求めるとともに,それができないのであれば,当局の調査のため6か月間自宅から出ないように命じるとの内容であった。

 

控訴人がFDCのリーダーに相談をしたところ,出頭するのを待つように言われたため,控訴人は6か月間,自宅を出ずに過ごした。(甲43,乙21,23,控訴人本人)

    

 

(エ) 控訴人は,平成17年(2005年)頃から,ラジオ番組の野外討論番組で発言するようになり,約1時間の放送時間の番組で,2回ほど,それぞれ10分程度,FDCの政策などについて発言した。また,FDCのラリー(公開集会)に参加し,発言することもあった。(甲42,乙21,23,控訴人本人)

    

(オ) 平成18年(2006年)2月,ウガンダでは,大統領選挙と国会議員選挙があり,控訴人は,Mobilizer(動員役員)としてFDCの選挙運動に取り組んだ。また,Cの構成員として地域住民の家を戸別訪問し,Cの活動に肯定的な反応が得られた場合には,FDCへ支援や投票を依頼した。さらに,控訴人は,様々な集会に参加して,ポスターを貼ったりしたほか,選挙当日は,投票委員として高齢者を投票所に案内するなどの活動を行った。(甲20,25,43,104,乙23,控訴人本人)

    

(カ) 控訴人は,平成19年(2007年)▲月,LC1から2通目の手紙を受け取った。手紙には,LC1に出頭してCの活動について説明するようにと記載されていた。今回は出頭を免れないと判断した控訴人は,やむを得ずLC1に出頭し,LC1のトップであるa村村長に対し,Cは女性支援のために活動を行っており,政治活動はしていないと説明した。しかし,村長が,控訴人の説明を聞いてもなお,Cが政治活動に関わっているのではないかと執拗に質問したことから,控訴人は,Cの政治活動は否定をした上で,自分個人としてはFDCの支持者であることを明かした。そうしたところ,村長は控訴人に対して,どうしてNRMを支持できないのかと迫ったが,控訴人がNRMは支持できないと拒否すると,村長はそれ以上は何も言わず,面会は終了した。(甲43,乙23,控訴人本人)

    

(キ) 控訴人は,平成19年(2007年)▲月,ラリーに参加した。そこで,控訴人は,平成17年(2005年)にLC1から1通目の手紙が届いた後,6か月間外出しないことを余儀なくされた経験や,それでもFDCの活動を続けていることを参加者全員の前で話し,政府やNRMからの迫害に打ち勝とうと呼びかけた。(甲43,乙21,23,控訴人本人)

    

(ク) ラリーが終わった2日ほど後,控訴人はCの仕事帰りに公共バスに乗り,FDCの他の党員とラリーの話をしていた。そして,公共バスを降りて歩いていると,突然,他のFDC党員とともに,複数の男達から襲撃を受けた。男達は,控訴人の顔,腰,腹,背中,足などを,手拳,足,鞭ないし棒で,殴ったり蹴ったりする暴行を加え,控訴人は気を失ってb村にある病院に運ばれた。この事件により,控訴人は当時妊娠していた子供を流産した。(甲42,43,乙21,23,控訴人本人)

    

(ケ) 平成19年(2007年)▲月頃,控訴人が退院した後,LC1から3通目の手紙が届いた。手紙には,Cの仕事を辞めてNRMのために仕事をしろ,LC1に出頭しろ,今の仕事を続けると大変なことになるぞ,ラジオ番組に出るな,選挙活動をするなというものであった。(甲43,乙23)

    

(コ) こうした一連の出来事により,身の危険を感じた控訴人は,平成19年(2007年)▲月に,出入国に旅券の要らないスーダンへ入国したが,スーダンも安全でないと感じたことから,再びウガンダに帰国した。そして,国外への出張のある仕事に就けば出国できると考え,Cの役職を退いた上で,平成20年(2008年)▲月頃,アフリカの手工芸品を海外に販売するF社に入社した。(甲43,乙21,23,控訴人本人)

    

(サ) 控訴人は,平成20年(2008年)▲月▲日に旅券の発給を受け,F社の業務で日本に出張するため,ウガンダを出国した。(乙1,23)

   

 

 

 

 

 

 

 

ウ 控訴人の入国及び在留状況等

    

(ア) 控訴人は,平成20年(2008年)7月▲日,控訴人名義の正規の旅券を使用して,F社の社員であるウガンダ人男性3人と共に,ウガンダを出国した。

 

その後,控訴人は,エチオピア等を経由して関西国際空港に到着し,入国審査官に対し,渡航目的を「商用」として上陸の申請をし,同月▲日,在留資格を「短期滞在」,在留期間を「15日」とする上陸許可を受けて本邦に上陸した。(甲43,乙1ないし3,9)

    

 

(イ) 控訴人は,そもそもの来日目的であったG(世界中の衣服や雑貨等を展示する催し)に参加した後,他の3人とともに,名古屋でビジネスの機会を得るため,愛知県c市に移った。

 

そして,平成20年7月▲日,名古屋入管局長に対し,在留期間更新許可申請をした。

 

これに対し,名古屋入管局長は,同年8月▲日,控訴人に対し,同申請をそのとおりの内容で許可することはできないが,申請内容を出国準備を目的とする申請に変更するのであれば申出書を提出するよう通知した。

 

そこで,控訴人は,同日,名古屋入管局長に対し,申請内容変更申出書を提出し,在留資格を「特定活動(本邦から出国するための準備のための活動及び日常的な活動(収入を伴う事業を運営する活動又は報酬を受ける活動を除く。))」,在留期間を「1月」とする在留資格変更許可を受けた。(甲43,乙1,4ないし6,9)

    

 

(ウ) 控訴人は,ウガンダを出国する時点では,当面の問題として,ウガンダから離れて危険を回避することのみを考えており,国外で難民認定申請をすることやウガンダに帰国しないことまでは考えが至っていなかったが,本邦に入国後,Cで書記を務めている友人(H)と電話で話をしたところ,政府が控訴人を探しているから帰国しない方がよいと伝えられたため恐怖を感じ,帰国しないことを決意した。(乙9,21,23)

    

 

(エ) 控訴人は,本邦入国後,アフリカ人の知人の髪を切ったり,ウガンダ料理を作ってアフリカ人等に配達・販売したりして収入を得て,生活をした。(甲43,乙9)

    

 

(オ) 控訴人は,平成20年8月頃に,難民認定制度があることを知り,同年11月頃に難民支援協会の連絡先を知った。

 

控訴人は,平成21年10月頃,難民支援協会に連絡を取り,同年11月▲日,本件難民申請をした。(甲43,乙21,23,控訴人本人)

    

 

 

(カ) 控訴人は,平成22年5月▲日,愛知県c市内の当時の控訴人宅において,不法残留容疑で摘発された。(乙8)

    

 

(キ) 控訴人は,難民認定申請後,本件難民不認定処分後の異議申立ての手続までは,難民事業本部(RHQ)から保護費をもらって生活をし,同異議申立てが棄却された後はボランティア団体から食料の援助を受けるなどして生活をしている。

 

また,平成24年に,Iに加入し,平成27年9月に,ムセベニ大統領が来日した際には,来日に抗議をして,在日ウガンダ人約50人とともにデモ行進を行った。

 

控訴人は,自らの居場所が子供から漏れることを防ぐために,ウガンダに残した子供達とは全く連絡をとっておらず,家族や親族に送金などもしていない。(甲44,78ないし83,乙21,控訴人本人)

  

 

(4) 控訴人の難民該当性

    

前記認定事実によれば,控訴人は,

 

①平成17年(2005年)2月にFDCの党員となり,FDCのいわば覆面組織ともいうべきCの活動を通じて,地域住民にFDCの活動を紹介したり,FDCへの支援を依頼する活動を行っていたこと,

 

②平成18年(2006年)2月の大統領選挙及び国会議員選挙では,FDCの動員役員を務め,有権者にFDCへの投票を呼びかけたり,ポスターを貼ったりするなどの活動に従事したこと,

 

③平成17年(2005年)から平成19年(2007年)にかけて,ラジオ番組に出演したり,ラリーに参加したりして,有権者にFDCの政策を説明したり,FDCへの支援を呼びかけたりしたこと,

 

④そうしたところ,控訴人がCの活動に仮託してFDC支援の政治活動を行っているとの疑いを持ったLC1から,2度にわたって,Cの活動について出頭して説明するように求められたこと,

 

⑤さらに,平成19年(2007年)▲月には,ラリーでFDCへの支援を呼びかける演説をした数日後に,鞭ないし棒を持った集団から,他のFDC党員と共に暴行を受ける襲撃事件に遭ったこと,

 

⑥そして,その後に受領したLC1からの3通目の手紙で,政治活動を止めるように警告を受けたことから,身の危険を感じ,Cにおける活動を停止して,本邦への出張を利用して,ウガンダを出国したことが認められる。

    

 

そして,ウガンダ政府(与党NRMを含む。以下同じ。)が,野党であるFDCの党員や支持者の活動を制限すべく,発砲,催涙ガスの発射,暴行,逮捕・拘留,集会の妨害などを繰り返していることは上記(2)ウ認定のとおりであり,控訴人がLC1から手紙を受け取ったり,ラリーの後に襲撃を受けたりしたことも,控訴人がFDC党員として動員役員を務めるなど積極的な活動を行い,ウガンダ政府に反対する政治的意見を表明していたことが理由となっているものと推認される。

    

 

以上によれば,控訴人は,ウガンダに帰国した場合には,FDC党員であること又はウガンダ政府に反対する政治的意見を有していることにより不当な身柄拘束や暴行等の迫害を受けるおそれがあるということができ,通常人においても,上記迫害の恐怖を抱くような客観的事情があると認められる。したがって,控訴人は,入管法にいう難民に該当する。

  

 

(5) 上記事実認定及び判断に関する補足説明

 

    以上の認定判断に関し,被控訴人は,控訴人の供述には客観的な裏付けがない,控訴人の供述は合理的理由なく変遷している,仮に控訴人の供述を前提とするとしても,控訴人はFDCにおいて指導的立場にはなく,ウガンダ政府から個別的に迫害の対象となるとは考えられない,控訴人の行動は迫害を受けている者としては切迫性に欠ける等と主張するので,以下,これらの点について補足する。

 

   

ア 事実認定に関する補足説明(上記(3)の事実認定について)

    

(ア) 控訴人がFDC党員であること及びその活動内容

     

a 控訴人は,自らがFDCの党員であること,地元のラジオ局の野外収録番組に出演して政治的な議論を行ったこと,平成18年(2006年)の選挙において動員役員としての活動を行ったことを供述しているところ,これらの供述については,FDC青年部全国動員統括のJの作成名義にかかる書面(甲20,25)に上記供述に沿う記載がある。

 

そして,甲20ないし22によれば,FDC青年部全国動員統括のJなる人物がウガンダに実在すること,上記各書面はウガンダから控訴人代理人に送られていること,上記各書面にはFDCの党章である意匠が記載されていることが認められ,ほかに上記各書面の成立の真正を疑うべき具体的事実や証拠は提出されていない。また,上記各書面に記載されている内容は,控訴人が本件難民申請後,一貫して主張している内容と整合している。

       

以上によれば,上記各書面は,FDC青年部全国動員統括のJによって作成されたものと認められ,控訴人がFDCの党員であり,上記各活動を行ったことは,上記各書面及び控訴人の供述から認定することができる。

     

 

b これに対し,被控訴人は,控訴人の政治活動に関する供述は合理的理由なく変遷していると主張し,控訴人がCの代表代行になった時期やラジオ放送番組への出演時期が一貫していないなどと指摘する。

       

 

この点,確かに,控訴人がCの代表代行になった時期については,

 

2004年(乙23の1の13頁),2002年(同29頁),2007年(訴状)と複数の時期が挙げられており,

 

供述が一貫していないように見られなくもない。

 

しかしながら,乙23の1の供述調書は,ルガンダ語を母国語とし,英語はおおむね理解できるものの100%理解できるわけではない控訴人に対し(乙12),通訳を介した英語により,長時間にわたって聴取がされた結果,作成されたものであるから(乙23の1の丁数は44頁にもわたる。),

 

聴取者・通訳人・控訴人の間で,聞き間違いや言い間違いが生じ,

 

不正確な内容が混入することは十分にあり得る。

 

このことは,乙23には,控訴人が話したことがそのまま記載されたとは考えられない箇所があること(控訴人の子供の性別の間違いなど)からもうかがわれるところである。

 

また,訴状の記載は,「2007年には」Cの代表代行を務めるまでになっていたと記載されており,控訴人が襲撃事件を受けてCにおける活動を停止した最終時点での役職を記載したとも理解できるから,

 

主張や供述が変遷しているとは必ずしもいえない。したがって,上記の変遷や不一致を重視することは相当ではない。

       

 

また,ラジオの出演時期については,平成14年(2002年)終わり頃にKというラジオ番組に出演していたという控訴人陳述書(甲43)の内容と,

 

平成17年(2005年)から同番組で発言するようになったという控訴人本人尋問における供述内容が齟齬しているが,

 

この点について,控訴人は,平成14年(2002年)から討論が行われている場所に行って現場で聞いていたと一応の説明をしており(控訴人本人),

 

控訴人の供述全体の信用性を損なうほどの不一致であるとは認められない。

       

 

なお,難民認定申請書添付の身上書(乙21)には,

 

「2001年から2006年にかけて,野党に投票するよう女性と青年を動員することにも携わっていました。」と記載されており,

 

これは,平成19年(2007年)にもラリーに参加するなどFDCとしての活動を継続していたとの控訴人の主張と矛盾するように見えなくもないが,

 

上記記載は,平成13年(2001年)と平成18年(2006年)に行われた大統領選挙及び国会議員選挙において動員役員として投票を呼びかけたことを説明しているにすぎないと解する余地があり,

 

その後にFDC党員としての活動を行っていないことまで含む趣旨とは必ずしも認められないから,控訴人の主張が変遷しているとはいえない。

       

 

したがって,被控訴人の上記主張はいずれも採用することができない。

    

 

 

 

(イ) 襲撃事件

      

 

次に,控訴人が第三者から暴行を受けて負傷したことについては,裏付けとなる証拠として,控訴人が入院したb病院の医師が作成した診断書(乙23の2)が提出されており,同診断書には,「上記の女性患者は,動員大会中に暴行を受けた後に下腹部痛および膣からの出血が一日続いた後,ウガンダ共和国カンパラ所在のb病院に入院。」との記載がある。

 

また,ラリーの後に見知らぬ集団から襲撃を受けて入院をしたことについては,控訴人は本件難民申請時から一貫して主張をしているところであり(乙21),その内容も具体的である。したがって,上記診断書(乙23の2)及び控訴人の供述によれば,襲撃事件の存在は認められる。

      

 

これに対し,被控訴人は,上記診断書の記載は,暴行を受けた後すぐに気を失い,暴行の2日後に入院先の病院で意識を取り戻したという控訴人の供述と整合しないと主張するが,上記診断書は,控訴人が1日様子を見た上で自分の足でb病院に入院をしたとまで記載しているものではないから,必ずしも控訴人の供述と矛盾するものとはいえない。

      

 

また,控訴人は襲撃事件を警察に届け出ていないところ,被控訴人は,襲撃を受けたのに警察に届け出ていないのは不自然であると主張する。しかしながら,上記(2)ウの認定事実によれば,ウガンダにおいては警察がFDC党員の安全を確保してくれる状況には必ずしもないのであるから,控訴人が襲撃事件を警察に届け出なかったことは不自然とはいえない。

      

 

さらに,被控訴人は,上記襲撃事件がNRMないしその関係者であるという控訴人の主張は,他人からの伝聞又は控訴人の推測の域を出ないものであると主張する。

 

この点,確かに,襲撃事件の犯人を確定するに足りる証拠は存在しないものの,襲撃事件が起こったのは,控訴人がLC1に出頭して自らがFDC支持者であることを明かし,さらには,ラリーでFDCへの支援を呼びかけた後の出来事であること,一緒にいた他のFDC党員も同様に襲撃されていること,他に控訴人が襲撃を受ける理由が見当たらないことからすると,

 

襲撃事件が,控訴人のFDC党員としての活動と無関係に起こったとは考えられず,FDCの活動を敵対視する親政府勢力から襲撃されたと推認するのが相当である。

 

そして,こうした親政府勢力による襲撃が,NRM自体によるものとは認められないとしても,上記(2)ウの認定によれば,ウガンダ政府が,かかる行動を取り締まろうとしているとは到底認められず,むしろ,キボコスクアッドのような親政府勢力の暴行事件を容認している状態にあるのであるから,襲撃事件を実行したのがNRM自体であると認定するに足りる証拠がないことは,控訴人の難民該当性を否定するものではない。

    

 

(ウ) LC1からの手紙

      このほか,控訴人は自らが難民であることの根拠事実として,LC1から3回にわたり,Cの活動について警告する手紙を受け取ったことを主張しているところ,この点については,同主張に沿う控訴人の陳述及び供述があるのみであって,客観的証拠は提出されていない。

 

      しかしながら,このような手紙は,仮に持参して出国時に発見されれば出国できなくなる恐れがあるのであるから,控訴人が持ち出さなかったとしても不自然とはいえない。また,控訴人は,本件難民申請時から,平成17年(2005年)にLC1から手紙を受け取って6か月にわたって自宅軟禁されたと述べており(乙21),その供述はおおむね一貫し,かつ,具体的である。そして,控訴人に生じた他の出来事やウガンダ国内の客観情勢との矛盾もない。したがって,控訴人の陳述及び供述は,信用できるというべきである。

    

 

(エ) 小括

      以上によれば,控訴人の供述は,複数の重要な事実について客観的裏付けがあり,かつ,難民該当性に関する中核的事実についての供述は具体的で一貫しており,ウガンダの客観情勢とも整合しているのであるから,上記(3)に認定した限度で信用することができるというべきである。いくつかの点において客観的裏付けがないことは,難民が迫害を逃れて国籍国を離れているという性質上,やむを得ないところであって,供述の全てに客観的裏付けがないことをもって,供述の信用性を否定することは相当ではなく,被控訴人が種々主張する点はいずれも採用することができない。

   

 

イ 難民該当性に関する評価判断

    

(ア) ウガンダ国内におけるFDCの地位

      次に,被控訴人は,仮に控訴人の主張を前提とするとしても,ウガンダでは,控訴人が同国を出た平成20年(2008年)7月時点ではFDCは合法な政党となっており,平成18年(2006年)2月23日に行われた大統領選挙及び国会議員選挙では,大統領に立候補したFDC党首のベシグエが37%の得票率を得て,FDCが37議席を獲得して主要政党になっていることからすれば,FDCの構成員がウガンダ政府から迫害を受ける具体的,客観的な危険性があるとはいえないと主張する。

 

      しかしながら,上記(2)ウの認定事実によれば,FDCが合法政党となった後も,政府によるFDCに対する弾圧は,党首ベシグエに対するもののみならず,党員や支持者一般に対して幅広く行われていることが認められるのであるから,被控訴人の上記主張は採用することができない。

 

 

    (イ) 控訴人のFDCにおける地位(指導的立場にあることの要否)

      また,被控訴人は,控訴人のFDCにおける地位に照らせば,ウガンダ政府から迫害の対象として関心を寄せられるような指導的な立場にあったとはいえないし,控訴人が本名でウガンダ政府から旅券の発給を受けて出国していることからすれば,控訴人は国籍国の保護を受けていたというべきであると主張する。

 

      この点,確かに,控訴人の供述によっても,同人は,FDCにおいて役職に就いておらず,a村の中でもFDC党員としての地位は高くない上,Cの活動範囲は主にa村の中であり,Cはウガンダ国内で一般に知られた存在ではないことが認められるし(乙23),控訴人は出国に当たってウガンダ政府から本名で旅券の発給を受けているのであるから,控訴人が,ウガンダ政府から,FDCの指導的立場にある者として個別的に危険視され,迫害すべき特定の対象として認識されていたとまでは認め難い。また,控訴人は,これまでに,ウガンダ政府から逮捕状の発付を受けたり,拘留されたりしたことはない。

 

      しかしながら,ウガンダ政府が,FDCの役職者や指導的立場にある者のみならず,集会や抗議活動に参加するFDC党員一般に対して,発砲,催涙ガスの発射,暴行,逮捕・拘留,集会の阻止などの行為を行っていることは上記(2)ウのとおりであって,指導的立場になくとも,控訴人のように,FDC党員として実質的な活動をし,集会に参加して積極的に発言をしたり,動員役員としてFDC支援を募る有意な活動をしたりしていれば,ウガンダ政府から迫害を受ける恐れはあると認められる。そして,控訴人が現に,親政府勢力と推認される集団から襲撃を受けたことは前記認定のとおりである。したがって,本件事実関係の下においては,控訴人が指導的立場になかったことは,控訴人の難民該当性を否定する根拠とはならず,控訴人が正規の手続で自己名義の旅券を取得して出国したことも,同様である。

 

 

 

    (ウ) 控訴人の行動の切迫性

      さらに,被控訴人は,控訴人は,襲撃事件の後も,暴行現場からわずか1マイル程度しか離れていないF社に入社して,日本に向けて出発するまで6か月間を過ごしている上,ウガンダ出国後に経由した第三国で保護を求めず,本邦入国後も,平成20年11月頃に日本の難民支援協会を知ったのに,その約1年が経過した平成21年11月▲日に至って初めて本件難民申請に及んでいるなど,控訴人が主張する「迫害を受けるおそれ」には切迫感が感じられないと主張する。

 

 

      しかしながら,ウガンダを出国するまでの控訴人の行動に関しては,控訴人は,襲撃事件の後,Cの役職を退いてF社に入社するなど,ウガンダ政府から迫害を受けないようにしながら生活していたというのであるから,襲撃事件の現場からF社がそれほど離れていないことや,日本に向けて出発するまで6か月間が経過していることは特に不合理ではない。

 

 

      また,ウガンダ出国後の控訴人の行動に関しては,控訴人が本邦に入国する時点では必ずしも難民申請をする意思を有していなかったことや,我が国における難民認定制度を知ってから本件難民申請に至るまで1年余が経過していることが認められ(前記(3)ウ(ウ),同(オ)),これらの点は,控訴人の迫害を受けるおそれに疑問を生じさせる点ではあるといえる。しかし,この点について,控訴人は,しばらく危険を避ける目的で商用も兼ねて来日したところ,Cのメンバーでもある友人から,政府が控訴人を探しているからウガンダには帰国しない方がよいと言われて帰国しないことを決意したと述べており,その供述が明らかに不合理であるとまではいえない。また,本件難民申請まで一定期間を要したことについても,控訴人はインターネットで難民認定制度と難民支援協会の存在は知ったがその電話番号を入手するのに数か月を要し,さらには携帯電話がなかった上に同居者に自分が難民であることを知られたくなかったために実際に難民支援協会に連絡をするのも遅れたと一応の説明をしているし(控訴人本人),本邦に入国してとりあえず危険を免れているという安心感があったであろうことも考慮すれば,手続や制度が分からない異国にあって難民認定申請が遅れたことが,迫害を受けている者の行動として不自然であるとまではいえない。

 

 

    (エ) 小括

      以上によれば,被控訴人の主張は,いずれも控訴人の難民該当性に関する上記判断を覆すに足りるものではない。むしろ,控訴人が来日してから働いてウガンダの家族や親族に送金したことがないことや,短期大学を卒業して職を有し,ウガンダでは相応の生活を送っていた控訴人が,金銭的に極めて厳しい生活を送りながら本邦にとどまっていることからすれば,ウガンダ政府からの迫害から逃れるという点以外に,控訴人が,夫と子供3人を残して本邦に残留を希望する積極的な動機も,証拠上特に見当たらないと解するのが相当である。

      したがって,被控訴人が種々主張するところは,控訴人の難民該当性の判断を左右するものではない。

 

 

 

 

 

 

3 本件在特不許可処分の適法性(争点2)について

 

   入管法61条の2の2第2項は,法務大臣は,難民認定申請をした在留資格未取得外国人について,難民の認定をしない旨の処分をするとき,又は難民の認定をする場合であって,定住者の在留資格の取得を許可しないときは,当該在留資格未取得外国人の在留を特別に許可すべき事情があるか否かを審査し,当該事情があると認めるときは,その在留を特別に許可することができる旨を規定している。そして,上記在留特別許可をするか否かの判断は,法務大臣等の広範な裁量に委ねられていると解すべきではあるが,当該在留資格未取得外国人が入管法上の難民に該当するか否かは,在留特別許可をするか否かの判断に当たり当然考慮すべき極めて重大な考慮要素である。

 

   しかるに,本件において,名古屋入管局長は,控訴人が,入管法上の難民に当たることを考慮せずに本件在特不許可処分を行ったことが明らかである。そうすると,本件在特不許可処分は,控訴人が入管法上の難民に該当するという当然に考慮すべき極めて重要な要素を一切考慮せずに行われたものといわざるを得ないから,本件在特不許可処分は,名古屋入管局長の裁量権の範囲を逸脱した違法な処分であるというべきである。

 

 4 本件退令発付処分の適法性(争点3)について

   主任審査官は,法務大臣等から異議の申出に理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは,速やかに当該外国人に対し,その旨を知らせるとともに,退去強制令書を発付しなければならないが(入管法49条6項),当該外国人が難民条約に定める難民であるときは,当該外国人を,これを迫害するおそれのある国に向けて送還することはできない(入管法53条3項,難民条約33条1項,拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約3条)。

 

したがって,当該外国人が難民であるにもかかわらず,その者を,これを迫害するおそれのある国に向けて送還する退去強制令書発付処分は違法であるというべきである。

 

   そして,本件においては,控訴人は難民に当たると認められるから,控訴人を,これを迫害するおそれのあるウガンダに向けて送還する本件退令発付処分は違法であるというべきである。

 

 

 

第4 結論

   よって,本件控訴は理由があるから,原判決を取り消し,本件難民不認定処分,本件在特不許可処分及び本件退令発付処分をいずれも取り消すこととして,主文のとおり判決する。

    名古屋高等裁判所民事第3部

        裁判長裁判官  揖斐 潔

           裁判官  唐木浩之

           裁判官  福田千恵子